ー石和さんが料理の道に進むことになったきっかけはなんですか?
石和:料理人になろうと決意したのは、高校2年生のときにTVで三國清三シェフのドキュメンタリー番組を見たことがきっかけです。超一流のフランス料理店の一皿は、辛く厳しい修行を経たシェフ達が心血を注いで作り上げていくという過程が描かれていました。当時は勉強もスポーツも人より秀でたものがなくて悩んでいて。厳しくも美しい料理の世界に惹かれて、番組を見終わった瞬間に「僕は料理人になる」と母親に宣言したのを覚えています。
専門学校卒業後は「軽井沢プリンスホテル」に就職し、8年間総料理長の直属の部下として皇室御用達のフレンチ・和食・中華など、さまざまな部門で料理の腕を磨きました。
その後いくつかのレストランで料理長・支配人を務め、32歳のときに飲食店プロデュース業を起業しました。ラーメン屋・寿司店・とんかつ店など、ジャンルを問わず多くの飲食店の立ち上げに関わり、2021年1月に氷見の商店街に「古粋」をオープンしました。
ー地元の長野県ではなく、氷見でお店を立ち上げられたのはなぜでしょうか?
石和:2016年に飲食プロデュース業が一段落したタイミングで、たまたま氷見の方と出会いがあり、単身移住し「氷見あいやまガーデン」の料理長を務めました。自然豊かな景観と、料理人なら誰もが一度は聞いたことがある「氷見」の豊富な食材は魅力的でしたね。
ただ、暮らしてみて一番の魅力だと感じたのは、氷見の人たちの優しさでした。これまで多くの地方を巡りましたが、氷見以上によそ者を温かく迎え入れてくれるまちはなかったように思います。
一度は氷見を離れましたが、商店街のまちなかで宿泊分離の宿を立ち上げられた「蔵ステイ池森」の池森さんに誘われ、氷見の活性化を目指し、お店のオープンを決めました。よそ者の自分を受け入れてくれた氷見に、少しでも恩返しがしたい。そんな想いでいっぱいでしたね。
ー古粋はコロナ禍での創業となったわけですが、オープンしてみていかがでしたか?
石和:長年飲食業に携わってきましたが、コロナはまさに未曾有の出来事でしたね。
感染者の増減によって予約も大きく変動し、リアル店舗はパンデミックの影響を大きく受けることがわかりました。
コロナ禍で、どうお店を維持していけばいいのか。何度もお店の方向性に悩みました。その中で新たに誕生したのが、氷見産リンゴを使ったどぶろくチョコです。
蔵ステイ池森に行ったとき、池森さんが栽培している氷見産リンゴを使ったどぶろくチョコを食べさせてもらったことがありました。それがもう、本当においしくて。「これは商品化するしかない」と、お店を営業する傍ら、新たにスイーツブランドを立ち上げてオンラインショップで販売を始めました。
そのほかにもYouTubeに料理動画をアップしたりと、どんどん新しいことに挑戦しています。コロナの影響で大きな社会変容が起きたからこそ、飲食業も店舗運営だけにこだわらず、新たな取り組みにチャレンジしていくことが求められていると感じています。
ー日々新しい挑戦に取り組まれているということですが、今後氷見のまちで取り組んでいきたいことはありますか?
石和:氷見のまちなかに飲食店が集まる横丁を作りたいと思っています。氷見にはおいしい飲食店が数多くありますが、点在していて観光客には少し分かりづらいですよね。飲食店を8店舗ほど集結させて、氷見の新しい魅力として発信していきたいです。
壮大な夢に思えるかもしれませんが、コロナが落ち着いてきたタイミングを見計らって少しずつ実現させていきたいですね。
ー最後に、移住者の石和さんからみて氷見の魅力はどんなところだと思いますか?
石和:やっぱり、圧倒的に人の優しさですね。よそ者に対してなんの警戒心もなく「よく来てくれた!」って受け入れることができるまちってとても魅力的だと思います。
そんな地域だからこそ、いまは地域おこし協力隊など多くの移住者が率先して氷見のまちを盛り上げようと活動しています。
あと、氷見の人って本当に氷見愛が強いんです。「自分のまちが好き!」と、堂々と言えることって素敵じゃないですか。人は1人では生きていけないからこそ、僕にとっては周りにいる氷見の人たちの存在は大きいですね。僕が「氷見に骨を埋めたい」と思えたのは、そういうところです。
(※2023年より「氷見牛ハンバーグと氷見おやきの店 古粋koiki」として営業されています)
氷見牛ハンバーグと氷見おやきの店 古粋koiki
住所 / 氷見市中央町14-1
営業時間 / 11:30〜14:00(LO13:00)
17:30〜21:00(LO20:00)
※ディナー営業は金、土、日、祝日のみ
定休日 / 火曜
駐車場 / 2台(古粋koiki隣)
電話 / 0766-75-1116
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